離婚を決意してから、10年かかりました

夜明けの空に向かって窓を開け、深呼吸する女性のイラスト 離婚とその後

もし、10年前の私に会えるなら、伝えたいことは3つです。

お金の問題は、なんとかなる。

子どもの心のほうが、大事。

だから、早く逃げて。ひとりで抱えこまず、人に頼って。

——そして、たぶんこれを伝えても、当時の私はすぐには自由になれません。

今日は、その「10年」の話を書きます。長くなりますが、あの頃の私と同じ夜を過ごしている誰かに届いたら、と思って書きます。

当時のわが家のこと

夫は、ある日、相談もなく会社を辞めて自営業を始めました。収入は大きく減りました。

生活費は、数ヶ月で渡してもらえなくなりました。

家計は、私の手取りでなんとか回す。それが当たり前になっていました。

夫は、怒ると物に当たる人でした。家電が、いくつも壊れました。

そして息子には、本人が望まないスポーツを強要し続けていました。

当時の私は、これを「DV」だと思っていませんでした。

殴られていないから。怒鳴られても、壊されるのは物だから。お金のことは、私が頑張ればいいだけだから。

「経済的DV」という言葉を初めて知ったのは、思いつめて女性会館の離婚相談に行き、弁護士さんに話を聞いてもらったときです。あなたのそれは、DVですよ、と。

実は、10年前から頼んでいました

「籍だけは、分けてほしい」

離婚を切り出したのは、10年前です。

でも、判子は、もらえませんでした。

何度頼んでも、もらえない。それでも裁判までは踏み切れない。その中途半端な場所に、私は10年立っていました。立ち止まっていた理由は、4つあります。

1つ目。「子どもには、父親と母親の両方が必要」だと思っていました。

私が我慢すれば、この家は「両親のそろった家」でいられる。そう信じていました。

2つ目。世間体です。

離婚した人、と見られること。子どもたちが「片親の子」と言われるかもしれないこと。いま思えば、世間は私が思うほど私に興味なんてなかったんですけどね。

3つ目。お金です。

離婚したら、私が稼ぐしかない。でも手取りは20万円。

会社は副業禁止。それでも、こっそりできる仕事はないかと、夜中にスマホで検索し続ける日々でした。あの頃の検索履歴、いま見たら、ほぼ闇バイトです(笑)。

4つ目。夫がいつか、真面目に考え直してくれると思っていました。

話せば分かってくれる日が来る。子どもたちのために変わってくれる。その「いつか」を、待ち続けました。

決意の日

2019年。娘は高校2年生、息子は中学1年生になっていました。

家計は限界でした。生活費のために、お金を借りる一歩手前まで来ていました。

そして——息子の心が、限界でした。

そのとき、気づいたんです。

私を10年立ち止まらせてきたのは、「お金」と「子ども」でした。

でも目の前にあるのは、底をついたお金と、壊れかけた子どもの心。

守るために耐えてきたものが、耐えたせいで、壊れかけている。

そこからの私は、止まりませんでした。

家庭裁判所にも行きました。弁護士さんを立てる余裕はなかったので、ひとりで。何度も面接に通いましたが、夫は裁判所からの呼び出しさえ、無視し続けました。調停は、不成立。

実家の母に助けてもらい、夫の友人にも相談し、それでも判子はもらえず——最後は、娘に託しました。娘が、もらってきてくれたんです。

調停の申し立ては、取り下げました。もう、必要なくなったからです。

翌日、有給を取りました。午前中のうちに、役所で手続きを終えました。

窒息寸前から、やっと息が吸えた。あの日の感覚を、今でも覚えています。

それからの7年

手元に残ったのは、独身時代からの貯金300万円と、子ども2人。手取りは月20万円弱。

正直、楽な道のりではなかったですが——10年悩んだわりに、「お金の問題」は、なんとかなりました。このあたりの話は、別の記事に書いています。

【シングルマザーの資産形成】手取り20万・貯金300万からの再出発。派手な投資なしで、ここまで来た話
はじめに2019年に離婚しました。財産分与もなければ、養育費も一切ありませんでした。手元に残ったのは、独身時代から細々と続けていた貯金、約300万円ほど。当時、私は46歳。娘は高校2年、息子は中学1年。手取りは月19〜20万円。家賃65,0…
プロフィール
はじめまして。mikoと申します。50代、ものづくりの会社に勤めて20年。子育てを終えて、いまは一人暮らしです。2019年に離婚しました。財産分与なし、養育費なし。手元にあったのは、独身時代からの貯金300万円と、高2の娘と中1の息子。手取…

子どもたちは2人とも社会人になり、自分の足で立っています。

息子は、あの頃が嘘みたいに、たくましくなりました。

そして、先週の土曜日

先週の土曜日、私は大阪にいました。

お金の勉強で知り合ったコミュニティの、観劇オフ会。「行きます」と手を挙げたのは、ひとりの判断です。でも新幹線には、声かけで集まった仲間と一緒に乗りました。

ひとりで決めて、ひとりぼっちじゃない。10年前の私には、どちらも想像できなかったことです。

帰りの新幹線で、ふと思いました。

あのまま離婚していなかったら、今頃、生活保護か借金地獄だったと思います。

大げさではなく、本当に。

でも実際の私は、好きな街で働いて、貯めて、育てて、土曜日に新幹線に乗って観劇に行く人生を生きています。

終わると思っていたあの日が、はじまりでした。

お金の問題は、なんとかなる。

子どもの心のほうが、大事。

だから、早く逃げて。ひとりで抱えこまず、人に頼って。

私の場合、頼ったのは、母であり、友人であり、女性会館の無料相談でした。

——まあ、これを読んでも、今夜のあなたはまだ動けないかもしれません。

それでいいです。私は10年かかりました。

あなたはいま、10年前の私が立っていた場所にいるだけです。そこから歩き出した人間が、少なくともここに一人います。

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